平成25年11月3日 【日曜日

予てから予定していた小串硫黄鉱山跡へのお参りに本日出掛けることが叶いました。
ご一緒頂いたのは練馬の矢野さんとayaさんです、矢野さんとは同郷とのことであります。
ayaさんは今回の小串参りに興味を抱き、一度は訪れて見たいとのことでしたのでご一緒頂きました。

矢野さんと前橋を6時半に発ち高崎駅でayaさんと合流、一路万座温泉スキー場を目指しました。
行く先々の紅葉は若干進みがち、もはや初冬の様相にこれから向かう毛無峠(1823m)辺りの気温を考えると心配にもなります。
途中万座温泉の源泉に立ち寄れば小串の硫黄採掘も肯けるもの、随分と国の為に寄与したのでしょうネ。
そんな鉱山跡地に私達が到着したのは午前10時半過ぎ、幸いにも微風で温かかったです。

意外にも駐車場には隣の破風岳(1999m)の登山者やラジコンを飛ばしている方々の車で結構賑わっておりました。
ただゲートには鍵が掛かっておりましたので、車で4.5Kmの砂利道を歩くことと致しました。
幸いショートカット道(750m)があり、そこを辿り降りたのでした。

 
             【万座温泉源泉の地】                    【毛無峠駐車場西に聳える破風岳】

          
                  【まさしく、いにしえの架空索道、天空に聳え立つ遺構でしょうか!】

この地に2000人もの人々が暮らし、幼稚園、小学校、診療所、商店が建ち並んで居たとは、この地に立ち
改めてその方々の偉業に愕く自分でした。

 
      
【4.5Kmの九十九折り、私達は右写真の誘導路を辿り降りました、その先にも小さく架空索道が見えます】

 
         【11月〜5月までは冬季閉鎖に成っておりました、手入れはとても丁寧に行われている様です】

           わざわざに送って頂き感謝致します。
                【関係者の方から送って頂いた昭和33年1月に撮影された小串鉱山夜景】

本来はお堂内に掲示してある写真だそうですが、冬季閉鎖で私達の目にはとまりませんでした。
関係者の方から是非使って下さいと送って頂いたのでご好意に甘んじました。
とても当時の雰囲気を忍ばせており昭和12年の山津波から21年後の穏やかなる夜景でしょうか。
この貴重な写真から人々の暮らしが伝わってくるようです、この写真を撮られた13年後の昭和46年に閉山となりました。

 
          
【お堂横に建立されている立派なお地蔵堂、私達はここにお酒とキャンディーをお供えしました】

不思議なことに意識になにも語りかけがありません、私は「きたよ」と何度も問い掛けたのですが!
するとお堂横から沢音が私の心をくすぐります、私はその瀬音に導かれ辿り歩き行きました。
その向かった先には鐘を吊り下げる台座が立っていました、ふと見上げると山肌が牙を剥き出しこちらを俯瞰しています!
なるほど、そう言うことでしたかと納得し山肌に手を合わせました。
この場があの山津波の現場だったのです、そして何ごともないままいっ時が過ぎ、背を向け立ち去る私にたった一言
「ありがと」の声が、それも聞き取れぬほどのかぼそい声、空耳でしょうか!でも私には十分な一言でした。
昨年来からの胸のわだかまりが解き放たれた瞬間でした、きて本当に良かったと心から思いました。

 
          
【お堂近くの朽ち果てた変電所】                  【いまも残る爪痕に当時を・・・!】

 
                                【矢野さんと私とayaさん】

 
    【とても美味しいクロマメノキ(アサマブドウ)、この地を離れる時天空には現代科学の粋が飛び去って行きました】

天気に恵まれた最高の日曜日でした、もう訪れることはないと思いもしましたが、いつかお堂が開いている時、
いま一度訪ねてみたいとそう思っております。
今日ご一緒頂いた矢野さん、ayaさん、天空の下での昼食は各別でしたネ。
機会が合いましたら、またこの地で共に歩みましょう、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。


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